ウガンダのムバララから首都カンパラに向かうバスで隣に座っていた女の子-シャインと仲良くなり、後日カンパラにある彼女の自宅に招いてくれた。今日はそのときの話。現地の人達の生活を垣間みることができたと共に、色んな話を聞けたいい経験になった。
シャインは今18歳。日本で言うと高校3年生だ。彼女はとても真面目な子でウガンダの中で一、二を争う名門マケレレ大学かムバララ大学に進学して医学か生物学を学びたいという。ウガンダの多くの人がそうであるように、彼女もまた流暢な英語を話す。また、彼女は5人姉妹の長女でもあり、やはりしっかりした印象を受ける。敬虔なプロテスタントでもあり、「宗教は何か?」と聞かれて、「特に信仰はしていないよ」と答えると、「それは良くない。誰がこの地球を創ったの?」と聞いてくる。ちなみに、こう聞いてくる人は途上国を中心に世界中にいた。日本を含めて欧米の先進国の多くの人達が信仰に重きを置かなくなっているのに対し、中東はもちろんアフリカでも宗教が人々にとっての生活の支えであり、秩序であり、娯楽でもある。
彼女の家は静かな住宅街にあった。ウガンダは平均年齢が世界で最も低い約15歳。その理由は平均寿命が短く、特に男性は50代で亡くなるのが珍しくない中で、何よりも出生率のが高いことに由来している。この住宅街も子供が多く、歩いていると右からも左からも子供が手を振ってくる。そうした家のほとんどが外から見てもとても小さい家だったのだが、彼女の家は比較的広く、綺麗なように感じた。温かく迎えてくれたお母さんは3週間ぶりに仕事先から帰ってきているそうだ。シャインが教えてくれたのだが、父親は彼女が11歳のときに兄弟ともめて、なんと殺されてしまったらしい。それからはブティック屋をやっているお母さんが一人で働いて5人姉妹を育てている。彼女は別の町で働いているため3週間に1回しか帰って来られないのだという。
家に入ると、シャインにそっくりな彼女の妹に、ひざまずいて挨拶をされた。ウガンダでは子供と女性は今でも身分が低いという考えが強く、こうしてひざまずいて挨拶をするのだそうだ。妹があと3人いるらしいが彼女達は学校に行っているということだった。家にはテレビがあり、CDプレーヤーを接続して音楽を流していた。聞くところによると、この音楽はカンパラ近辺で多く話されているルガンダという言語ではなくて、ムバララ辺りの言語、ルニャンコレなんだという。彼女たちは元々ムバララの出身ということで、家庭ではルニャンコレ語を使っている。でもテレビでは、ほとんどがルガンダか英語が話されている。日本で育った僕からすると複雑だけど、アフリカはこんなところばかりだ。部屋の数は意外に多く、一人一部屋あるようだ。キッチンというのはなく、外で調理をする。火をおこしたりするので、ウガンダではこうしたスタイルが多いようだ。トイレ、風呂は近隣と共同で使っていて、もちろんシャワーというのはない。ウガンダでお湯のシャワーを毎日浴びているという人は全体の人口の5%以下じゃないだろうか。
突然来た外国人の僕に対しても彼女達は優しく、決して裕福ではないと思うのにソーダを買ってきてくれ、ご飯を作ってくれる。その間はお母さんと雑談をする。1970年頃のウガンダは大統領が国をメチャクチャにしてしまっていて大変だったらしい。そういえばアミン大統領という独裁者が何十万人も市民を殺したりというのは聞いたことがあった。当時、警察には給料はやらないけど銃はやると言っていたそうで、そうなると警察は銃を使って市民を強盗するというのが当たり前に起きていたのだそうだ。そんな大統領は他国に亡命して、亡命先のサウジアラビアで死んだ。
そうそう、それから、怖い話だけどウガンダには、客先に行くと殺されて食べられてしまうという村があるという。だからそのエリアでは人に招かれても安易に付いていってはいけないというルールがある、なんてぞっとする話をしていた。怖いなあうっかりその村に行ってしまったら大変じゃないか。
作ってくれたご飯はとてもおいしく、ひょっとしたらウガンダで最も美味しい食事だったかもしれない。彼女達にお礼を伝えて、撮った写真を印刷して渡す事を約束して宿に戻った。帰り際、そういえばウガンダでは一流大学を出てもコネか賄賂がなければ普通の企業には就職できないと聞いた話を思い出した。そうすると、彼女のような家庭ではおそらくどちらもないだろうから、医者を目指したりするしかないんだろうなと考えると、勝手に彼女達の置かれた状況の厳しさに同情してしまった。
“sekai no yume”
written by Kentaro Sekine